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らぷそでぃ いん えあ

Rhapsody in Air

ArKEnemy

 the Precedent Part

 吟遊詩人の奏でる叙事曲に耳を半分も傾けることなくその酒場に たむろ う人々は、ただただ騒がしかった。喧騒響くその酒場に一人の少年が駆け込んでくる。
 白銀の髪の少年はカウンターに詰め寄る。雑音を掻き分けて酒場の主人のもとへと辿り着いたその少年は、開口一番、ただこう言った。
「オレを 冒険者ヴァンター にしてくれ」
 と。往々にして、酒場という場所は 冒険者ヴァンター と呼ばれる放浪の士らが酒場の主人という名の仲介人から仕事を請け負うところだった。 冒険者ヴァンター になることを志したその少年もまた例外なく、酒場にやって来た。
 酒場の主人は驚きもせずに問う。一言、「覚悟はあるのか」とだけ。
 その問いに、一分の迷いも 躊躇ためら いもなく、意思の籠もった眼差しを主人に向けたまま、力強く頷く少年。主人はその青い両眼をしっかりと見据えた。まだ幼さが残るが鋭い瞳。鋭角的な輪郭のその顔は、確かに芯の強さを思わせる。背の丈はそれなりにある。この歳なら、そこそこ高い方だろう。肩幅は頼りなく、全体的に細い感があるが、身体などこれからいくらでも作ることはできよう。主人はこれなら大丈夫だろう、と頷き、少年の申し出を受け入れる。
 そして少年は 冒険者ヴァンター になった。
 手続きは要らない。宣言と、それを承認する者がいればいい。承認する者は、即ち仕事を斡旋する者だ。
 少年は早速仕事を請け負おうと、マスターに依頼を尋ねた。マスターは一つの依頼を挙げる。その依頼はとても簡単なものだ。近隣の村まで届け物をするだけ。少年は不満そうにしたが、それでも不平を言うことなくその依頼を請け負うことにした。

 Jylphe──the 1st Part

「ねぇ、一人?」
 酒場で依頼を請け負って、仕事へ向かう前に腹ごしらえをしようとテーブルに着いた少年に声が掛かる。声の主は少年より一つ上くらいだろうか、それくらいの歳の少女。
「一人だけど、あんたは?」
「あんたって……まぁいいけどね。えっと、一人なら一緒に組まない?」
 その少女の身なりを見るに、それなりの経験を積んでいるようだった。
  常盤色ときわいろ の髪を肩から少し浮く程の高さで切り揃えたその少女の顔は、透明さを感じさせるような白い肌をしているが、しかしひ弱さを感じさせることはない。瞳に力強い意思が籠もっているように見える。その眼が頼りなげなイメージを払拭しているのだ。
 表情もまた、自信を感じさせる、不敵でいて落ち着いたものだった。
 顎、首筋、鎖骨の辺り、それらには余分な肉がついておらず、よく鍛えられていることが伺える。とにかく、彼よりも幾らも腕の立つ者だろうということは、見ただけで分かる。
 実のところ、今回の仕事くらい一人でだって充分できる、と彼は思っている。たかが荷物運びくらい、と。だが、今後依頼を一緒にこなしていく仲間は貴重だ。彼は頷いた。
「で、貴方の名前は?」
「そういうものは、普通自分から名乗るものだと思うんだけど」
 少年がむすっとした顔で答えると少女は呆れたように小さく嘆息した。
「可愛くないわねー。まぁいいわ、私はマキナ。貴方は?」
「ジルフェ」
「ジルフェね、よろしく」
 少女は手を差し出す。
「……」
 少年は答えない。
「よろしくって言って、ん、で、しょ!」
 少女は無理矢理その手を掴み、大きく振りながら握手を交わす。
「わ、わかった、わかったよ、握手すればいいんだろ」
 軽く握り返し、その少女の顔を見る。にこにこと微笑みを浮かべた、可愛らしい顔。
「……」
 そしてすぐに目を逸らす。
「……」
 一転、少女の顔が不機嫌になり、再びその手が大きく振られる。
「わ、わかったってば!」
 少女を見て、そして小さく、呟くような一言。
「……よろしく」
 そしてすぐに目を逸らす。少女はふと思いついたように目を見開いて、そして少年の顔を覗き込む。
「もしかして、照れてんの?」
「バっ……ち、違ぇーよ! 何言ってん……」
 横目でそっとその顔を伺ってみて、そして後悔し、すぐに身体ごとその少女から背けた。
「ちっ……」
 伺ったその先にあったのは、してやったりと言わんばかりの満面の、悪戯っぽい笑み。そこで憮然としていれば良かったものを。しかし、からかうようなその視線に、彼は耐え切れなかった。即ち、もう遅い。
「さっき可愛くないって言ったけど、あれ取り消すね。
 ……貴方最高に可愛いわ」
 そう言って少女はコロコロと笑う。そして少年はふと気付き、再び後悔する。この少女とこれから一緒に組むことになった、ということを。酒場の片隅に大きな溜息が一つ零れた。

 Jylphe──the 2nd Part

 勝手に隣に座った少女は、酒場の主人に何やら注文をしている。もう少年は食べ終わるか、というところだった。注文が届く頃には自分は食べ終わってるだろう。ということは、彼は少女が食事を終えるまで、それをただ見ていなければいけないらしい。
 未だ不機嫌な表情の少年の、そんな心配をよそに、少女は早く食事が来ないかなぁ、といった表情をしている。少年の気持ちを代弁するならば、何を呑気な顔してるんだ、人の気も知らないで、といったところだろうか。
「ところで、聞いてもいい?」
 少年は答えない。相変わらず、というよりむしろ当然だろう。機嫌は直っていない。
「まだ怒ってるの?」
 それを見た少女は呆れたように、というよりむしろあからさまに呆れていた。
 少年はその呆れた仕草にやはり、ということはなく、諦めたように息を吐く。
「何?」
 促す少年。声は不機嫌だった。
「どうして、 冒険者ヴァンター になろうと思ったのかな、って」
「そんなことどうだっていいだろ。そんなの自分だって聞かれたって答えないんじゃないのか?」
「聞かれたら、自分の話したい範囲で話すけど? 別に隠すことじゃないし、恥ずかしがることでもないし」
「……別にそんなに深い理由なんてないよ。ただ、自分の村から飛び出して何かしたかった、ってだけで」
 遠くを見詰めるような少年の、呟くような答えに、少女は納得をしたような、していないような、曖昧な返事で応える。
「ふぅん……」
 あるいは、それは少年の心中を探ろうとしていたのかもしれない。それは曖昧さではなく、意味深さ。見透かすような視線に気付き、少年は戸惑った。
「な、何だよ……」
「んーん、別にー? 何でもないけど?」
 余りに素直で正直な反応に思わず可笑しくなって、表情を俄かに緩ませる。にやついていたかもしれない。
「その顔は別にっていう顔じゃないだろう」
「女性に顔の話題をするときは、誉めるべし。それ以外はタブーよ」
「何の話だよ。いや、そうじゃなくて……ああ、もういい」
 くすくすと笑いながら、からかうような口調でそういう少女に、彼は呆れてもうどうでもいいというふうに顔を背けた。
 少女の注文した料理が届く。スープとサラダとパン、という控えめと呼ぶことさえ はばか られるような、質素な食事。
「……あのさ」
 顔を背ける少年をじっと見詰めたままの少女が、不意に口を開く。
「多分、私も似たようなものだよ」
 少年はちらりと少女の方を向いた後、何か言おうとして──結局何も言わないまま、目を逸らした。少女の顔は、どこか寂しそうで、儚さを感じさせて、何となく見ていられなかった。
 少女が食事を終えるまで、少年はただ窓の外を眺め、少女はその少年を見詰めながら、パンとスープを口に運ぶ。
 しばしの沈黙。注意しても殆ど聞こえない 咀嚼そしゃく の音と、酒場に集う他の客の騒がしい声だけがただ響く。
「食べ終わったら、武器でも買おっか」
 ふと思いついたように、少年に話しかける。
「……ああ、うん」
 窓の外へ向けていた視線を戻しながら、答えて、そして少女の顔を見る。さっきまでのあえかな表情は、もうそこにはない。
「武器を持てば、格好だけは一人前の冒険者、だからね」
 そう言って少女はくす、と笑いながら、最後のひとかけのパンを口に運んだ。

 Jylphe──the 3rd Part

 装備を整える為に、二人は商店街を歩く。武器鍛冶や防具鍛冶、雑貨屋などを見て回る。
「貴方はどんな武器が使いたいの?」
「やっぱり、剣かな」
 武器屋の店内にディスプレイされた武器を眺め、ジルフェはそう答えた。
「ボウズ、剣は使ったことあるのか?」
 店の主人が愛想良く話掛けてくる。
「木剣なら」
 その白銀の髪を くように頭を掻きながら、ややバツが悪そうな、歯切れの悪い返事。中途半端な長さで、ボサボサ以外に形容し難い髪型の頭を掻いたその腕は、どう見繕っても余り太いとは言えなかった。
「持ってみな」
 手渡されたのは一本の剣。刃渡り六十五セントゥール(だいたい、二の腕から指先までを伸ばしたくらいの長さだと思ってくれればいい)程度の、短い剣だ。
「!」
 重い。持ってすぐにそう気付く。構えることは充分できる。だが、これを振り回して果たして……。 咄嗟とっさ に重いと感じたその表情を隠そうとしたが、無駄だった。
「重いだろう? 剣はな、あんまりオススメしねぇよ。値も張るしな。……こっちなんかどうだ」
 今度は一本の槍を手渡される。一トゥール程の長さの柄の先に、刃渡り三十五セントゥール程の刃のついた、短い槍。
「片手じゃ振り回せないだろうがな、そいつは両手で使えば剣よりずっと使いやすい」
「うーん」
 悩むジルフェの脇で、マキナは短剣をじっと見ていた。指を差して尋ねる。
「おじさん、これいくら?」
 緩やかに湾曲した刃を持つ短剣。刃の先に重心が来る形状は扱い易く、切れ味も高い。
「あー、それか? 目の付け所がいいな、お嬢ちゃん。そうだな、三百五十でいい。本当は四百なんだがなー」
 そうして店主はニコリと朗らかな笑みを浮かべて、短剣を手渡す。ずっしりとした重みが手に伝わる。
「サービスだ」
「ありがと、おじさん」
 愛想良く笑い、三鋼貨と五十銅貨を渡して、布に包まれたその短剣を腰に提げる。
「ジルフェは? 決まった?」
「うーん、槍か。槍、か……」
 先程からジルフェは槍を手にしたまま何かを考えこんでいるようだった。悩んでいるのか、迷っているのか、それは分からない。マキナはジルフェの顔を覗き込む。
「槍、いいと思うけど?」
「そう、だな……おじさん、これにするよ」
「毎度あり、そいつも三百五十でいいぞ。本当は四百五十なんだがな、サービスだ」
 微笑む店主。やはり三鋼貨と五十銅貨を手渡す。
「防具も要るんだろ? サービスして浮いた金でいいやつを買え。武器は何でもいいんだ、使いやすければな。だが防具は別だ。命に関わるからな」
 店主は真剣な顔で頷きながら言った。確かにその通りだと思う。だが、この男は何故武器屋などを営んでいるのだろう? 武器屋なら高い武器を買わせて しか るべきなんじゃないのだろうか。防具に金を掛けろだなんて、むしろ防具屋に向いていそうに思えた。
 にこやかに笑みを浮かべ見送る店主に、愛想笑いで応えるジルフェと、朗らかな微笑みで応えるマキナ。
「良かったね、優しいおじさんで」
「ああ、そうだな。そういえば、なんで短剣なんか買ったんだ?」
 ジルフェは素朴な疑問を投げ掛けた。マキナは背中に弓を背負い、腰からは矢筒を提げている。弓使いの装備だ。
「んー、まぁ、いいじゃない」
 しかし少女はその問いには曖昧な笑みを浮かべるだけで答えなかった。

 the Other Part

 その少年と少女が店を去ってから 幾刻いくとき も経たない頃。その青年はやってきた。雄々しいまでに感じられる金の髪をした青年。
「ここに東方文明で作られたという短剣があると聞いたのだが」
 入るなり青年は、無愛想と受け止められても仕方のないような言葉で、だがそれとは真逆の落ち着いた丁寧な調子で、そう尋ねた。
「東方文明? 何だい、そりゃあ」
「む、知らないか。こう、大きく湾曲していてだな。切先が──」
 青年がそこまで言ったところで、店の主人は思い当たる。そう、先程の少女に売った、あの短剣を。そうして申し訳なさそうに、その青年の説明を遮って言う。
「それならついさっき売り切れたところだよ。すまないねぇ」
「そうか。なら、仕方ないか。ところで」
 売り切れと分かると青年はいやにあっさりと短剣のことは諦めた。それ程は急を要さないということだろうか。しかしそれにしても、なんというか、淡白ではある。
 ところが青年の目的は短剣ではなかったようである。なるほど、淡白なのも道理だろう。そう、彼はその目的のついでに短剣を買うつもりだった。そして、その目的が。
「ここらに、かなり危険な魔物が出没するようだ。ここは 冒険者ヴァンター 馴染みの武器屋だそうだが、彼らに警戒するよう伝えてはくれまいか。いや何、滅多に遭遇することはないだろうが──ま、念の為、ということでな」
 それだけ伝えると、青年は優雅に身を翻して店を去って行く。
「なんだい、ありゃあ。
 しかしそれにしても、危険な魔物ねぇ? そんな話ちっとも聞きやしないが……でもわざわざその為だけに来てくれたんだから、一応来た客には伝えるか」
 暇を持て余しているのか単純に親切なだけなのか、よく分からない珍客に、不可解に首を傾げながら、主人は独りごちた。

 Jylphe──the 4th Part

 近隣の村へ届ける荷物は、工芸品の材料となる骨材。草食獣の角や牙などだ。丈夫な素材なので誤って落としても壊れる心配はないし、仮に壊したとて、さほど高価でもないので大した問題にはならない。まさに、初心者にうってつけの仕事ということだ。
「こんな仕事、オレ一人でもできたんだけどな」
 街道を進む途中、その退屈な仕事にジルフェは一言ぽつりと漏らした。その呟きに、こちらも呟くようにマキナが答える。
「そう? 私ははじめての仕事は一人じゃできなかったけどな」
「どんな仕事だったんだ?」
「同じよ。荷物を届けるだけの」
 お互い前を向いたまま、歩を進めながらの呟くような会話。
「荷物を届けるだけなら一人でも充分だろう」
 呆れたようなジルフェの声に、諦めたようなマキナの声が答える。
「初めてだしそう思うのも無理ないか」
「? どういうことだかさっぱり分からないんだけど」
 そこで初めてジルフェはマキナの方を向く。だがマキナは前を向いたまま、答えない。
「教えろよ。どういうことなんだ?」
 押し黙っていたが、やがて面倒くさそうに、前を向いたまま口を開いた。呆れた表情。あるいは、うんざりしたような、そんな顔をして。
「……そのうち分かるんじゃないの?」
 そして二人は沈黙する。訪れた静寂。昼頃に出発し、日は今は西の空にある。目的の村まではもう 幾許いくばく もなく、日が暮れる前には辿り着けるだろう。ジルフェは少なからず油断していた。
「……!」
 不意にマキナが後ろを振り向き、短弓を構える。腰に提げた矢筒から矢を取り出し弓に充てがう。
「走って!」
「え?」
「いいから走って!」
 感情的な、怒鳴るような声。言われるがままにただ走り出す。よく分からないが、とにかくただごとではなさそうだったから。
 えも言われぬ不安感を憶える。背筋を冷たいものが伝うのを感じた。
 刹那、風を切る音と唸るような悲鳴が聴こえた。思わず後ろを振り向く。
 そして、驚愕する。
「なっ……!?」
 目に飛び込んできたそれは魔獣。漆黒の毛皮につつまれたその肩に深々と矢が突き刺さっている。狼とも黒い犬とも取れるその獣は苦しげに唸った後、そのまま力なく倒れる。その向こうに弓を構えたマキナがいた。その周りには、マキナを取り囲むような魔獣の群れ。その内の一匹がゆっくりとこちらを向く。
「……っ!」
 目が、合った。おぞましい笑みを浮かべた獣。背筋が凍りつくような感覚。獣が駆け出す。こちらへ向かって駆けて来る。恐怖の余り、身が すく む。
「バカ! 早く走って!」
 悲痛な表情で叫び、矢を つが える。そして駆け出した獣目掛けて矢を射放つ。風を切る音。獣の足を刺し貫く矢。苦悶の叫びと共に地を転がる。はっと我に返り、再び駆け出す。後方から聞える声が遠ざかる。

「……あんたたちの相手はこっちなのよ!」
 次々矢を放っては次々に番える。だが、この数を相手に一人では分が悪過ぎた。
「あぅっ!!」
 脇腹に獣の体当たりが入り、地に投げ出される。すかさず受身を取り、転がり起きるが、立て続けに獣は襲いかかる。
「こいつら……何でこんなところにいるの? それにこんなたくさん……おかしい」
 日没が近いとはいえ、街道付近のこんなところで、この数の魔物は不自然過ぎる。魔物自体も、森の奥にいるような危険な「魔獣」。小鬼や野犬じゃない、魔の力を受け凶化した獣。こんなところにいるのは、普通はありえない。
 苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、矢を取りながら必死の回避を続ける。

 気が気でなく、何度も後ろを振り返り、ジルフェは走る。幾度目かに前を向き直ったときに、そこで凍り付いた。魔獣が目の前でその 獰猛どうもうあぎと を開いていた。すぐさま振り向き後ろへ駆け出そうとしたが、そこにも牙を き獣が待ち構えていた。
「ちっ、く……しょ、おっ……!」
 無我夢中で魔物のいない方向へと駆け出す。その先にあるのは茂み。次第に日は傾き始めていた。
「あのバカ! 逃げてって言ったのに……!」
 遥か前方で獣に囲まれる少年を見て、顔を歪め、沈痛な表情を浮かべる。脇腹を押さえ、足をって、足元に転がる、何本もの矢が突き刺さって息絶えた獣の屍を越えて、少年の向かった先へと急ぐ。

 Jylphe──the 5th Part

 暗い茂みを駆け抜ける。差し込む赤い光が、それが地に沈まんとする夕日のものだということから、辛うじて方角は分かる。だが、外へ向かって走ることはできない。後から獣が迫って来ているからだ。
「くそっ……情けねぇな、オレ……」
 冷や汗で身体中が濡れている。走るとその汗が乾き、そして恐怖からまた汗が噴出す。
その繰り返しで身体はどんどん冷えてゆく。震えが止まらない。寒気が治まらない。生まれて初めて死に晒されて、身体も精神も恐怖しきっていた。
 そして、日が沈む。ついには方角さえも分からなくなってしまった。暗緑色と暗褐色が埋め尽す、森。
「はぁっ、はぁっ」
 殺気の感じる方向を伺う。だが正確な距離も方向も感じ取れない。感知の経験が不足しているからだが、当たり前だ。魔物と初めて相対したのだ。むしろ今無傷でここにいることが不思議なくらいだろう。
「くそっ、ほんとに情けねぇ」
 獣の足音が近付いてくる。徐々に、徐々に、その音は大きくなる。少年は覚悟を決めた。槍を両手で握り、構える。
 暗闇の中、微かに何かが光ったと思った瞬間、それは目の前に飛び出していた。
 光ったのは、その獰猛な瞳。
 とっさの判断で転がり避ける、が、足にそいつの爪が掠った。
「こんなことなら 脛当すねあ ても買うべきだったんじゃないか……?」
 武器を買った後、残りの金で買うことができたのは革製の防具に留まった。そこで上等な強化 皮革ひかく でできた胴鎧を買ったのだ。これより安い胸当てを買えば、革の篭手に木の脛当てが買えた。だが、
「あまり装備を固めるといざってときに反応が遅れる。特に脛当てなんかは足回りに影響が出るし、篭手も武器を握る手に影響が出る」
 と言われて、結局胴鎧にしたのだ。しかし、そこで彼は防具屋の主人の言葉を思い出した。
「加えて言うなら、槍は剣と違って防御にも向いてるんだ。相手の足を払ったり、攻撃をその柄で受け止めたり、な。それなりに丈夫にできてるから打撃程度は防げる。
 流石に金属の刃で斬られたらマズイがな」
 槍を構える手に力を入れる。汗ばんできたが、手が滑るということはない。獣との間合いを計る。
「なるほどね……ちくしょう。
 いつも熟達者は正しくて、オレみたいな新米は失敗するんだ」
 獣が襲いかかる。 石突いしづき の方で飛びかかる獣の足を払う。だが、空を切り、虚空に軌跡を描くのみ。正面から獣の爪と牙が襲う! 恐怖で頭が真っ白になる。無我夢中で咄嗟に身を屈めた。背中にその獣の鋭い爪が突き立てられる!
「ぐぁっ!」
 だが、背中には鈍い衝撃だけが伝わっていた。上等な強化皮革の鎧。背後からの奇襲に対し、胸当ては通常無力だ。だが、背中にも厚い皮革の装甲のあるこの胴鎧は、背後からの攻撃にもある程度耐えられる。
「へへっ……、高いだけのことはあるってことか」
 苦笑いを浮かべ後ろを振り返ると、その獣は着地し、こちらへ反転しようとしていた。今なら、いける。
「やあぁぁぁぁっ!」
 勢いよく槍を突き出す。獣の 頭蓋ずがい を貫通する鈍い衝撃。吹き出す鮮血。獣の苦悶の 咆哮ほうこう 。返り血を浴びながら槍を引き抜く。槍に引っ張られるように獣の頭が浮かび、その頭は槍が引き抜かれると同時に力なく地面に ちる。弱々しく弾み、そして地面に沈み込むように息絶えた。
「はぁっ……はぁっ……やった、のか?」
 額には脂汗が浮かんでいる。心臓の鼓動も早い。それはむしろ動悸と呼べるものだ。息が切れる。次第に呼吸も落ち着き、汗も引いてくる。頭も冷静になってふと気付く。
 敵は一匹ではなかったということを。
 気配がする。何処から来る? 何処にいる? 神経を鋭敏に研ぎ澄ます。だが、わからない。微かな音がその気配を伝えるのみ。その微かな音が、確かな音に変わったとき、その正体を理解した。
「マキナ!」
 茂みから現れたのは自らの相棒たる少女。左手で脇腹を押さえ、右手には武器屋で買った湾曲短剣。足を引き摺りながら、肩で息をしながら、苦悶の表情を浮かべ、だが彼女は少年の顔を見て安堵の吐息を漏らし、弱々しくも笑みを こぼ す。
「良かった……無事、みたいで」

 Macina──The 1st Part

 それより幾刻か前。少女は少年を追って森の中へと入り込んでいた。
「っ……まずったなぁ、ちょっと、痛いかも」
 努めて軽そうにそう呟いたが、その顔は激痛を抑え込むのでやっとという程に歪んでいた。 したた る汗は冷たく、そして濃い、脂汗。
「折角買ったんだから使えば、よかった、な……。今更、だけど」
 右手で左腰に提げた短剣を引き抜き、掲げる。夕日を反射して赤い光を放つ刀身。その湾曲した刃で、目の前に突き出た枝を切り落とし、足元に生える 鬱蒼うっそう とした草を薙いで歩いてゆく。
「敵、いませんように、なんてね」
 どれだけ辛くても、それを表に決して出さないようにしないといけないときがある。それは、一人でいるときだ。支えるものが何もないとき、人は一人で立ち向かわなければいけないから。そこで弱くなれば、たちまち挫折し、逃げ出したくなるから。
 苦痛に顔を歪めながらも不敵な笑みを浮かべ、既に 満身創痍まんしんそうい のその身体に鞭打ち歩く。
「……甘くないなぁ」
 獣の気配を感じる。それも複数の、だ。じりじり近付いて来るのが分かる。何度も経験したことのある感覚。殺気を あら わにした獣の気配を感知するなんて、体がすぐに覚えた。もう、すぐそこにいる。これだけ近ければ、何処から来るか、それさえ分かる。
 脇腹を抑える左手で背中の弓を抜き、右手は短剣を腰に戻しつつ、矢を取る。素早く番えて、射放つ! ヒュンという風を切る音と、 慟哭どうこく にも似た獣の悲鳴が重なる。直後、後ろから飛びかかって来る気配。
「バレてるよ」
 言い放ち、左手の短弓で叩き払う。空中でかわすことのできない獣の腹に弓が勢いよく叩き込まれる。よろめき地に伏せる獣。すかさず左腰の短剣を抜き放ち、身体を回転させるように払い斬る! 獣は右からも飛びかかっていたのだ。だが、鋭く放たれた剣閃を頭から胴に直に受けて、鮮血を散らして吹き飛ぶ。まだ死んではいまい。だが、それより先に体勢を整えつつある、先ほど弓で叩き落とした前方の獣を絶つべき。
「はぁっ、はぁっ……やぁっ!」
 身体は激痛で限界に近い。だが、戦闘の緊張感、 昂揚こうよう 感、恐怖で痛覚が麻痺しているのだろうか、先程はあれだけ強く感じた痛みが今は ほとん どない。
 あるいは、生き残る為の気力だけで動いているのかもしれない。視覚も聴覚も、肌から感じるものも、いつもより数倍鋭敏だから。感覚が研ぎ澄まされた中で痛覚だけがなくなっているということは、考えにくい。
 短剣を大きく振り被り、飛び掛かるように斬り付ける。起き上がったばかりの獣は咄嗟にかわそうとしたが、重力と跳躍の加速で勢いを増したその太刀をかわしきれる筈もなく、前肢を寸断された。骨が砕ける鈍い音。筋が絶ち切られる生々しい音。
 少女は考える。魔獣を ほふ る度に感じることがある。生命を奪うときの、あの生々しい感覚。おぞましくて吐き気がするほど、イヤな感覚。それなのに、どうして私は 冒険者ヴァンター になったのだろう? 何か、求めるものがあったから? 何だったんだっけ……。
 考えながら、体はさらなる 殺戮さつりく の為に剣舞を踊る。返り血に染まるその身、その顔。足を絶たれ転がる獣の首を刎ねる。ごろりと重い音を立て首が転がり落ちる。切断面から上がる 飛沫しぶき が顔にかかるのを避けるように 退 き、 きびす を返す。そこには新たな獣が現れていた。先ほど とど めを差し損なった獣が呼んだのかもしれない。あるいは、この血の臭いに釣られて出てきたのか。
「きりが、ない、なぁ」
 荒い呼吸。身体が疲弊していくのが分かる。徐々に動きは鈍くなってゆく。目の前の獣を切り払って、止めを差すことなく、駆け出す。追走する獣を舞うように切り伏せ、再び走り出す。
 背中に飛び掛かる気配を憶え、身を ひるがえ し、斬撃を叩き込む。頬を あか に染め、手を あか に染め、魔獣を屠る。新たな魔獣が飛び掛かる。血臭が魔獣を呼び、その魔獣が血飛沫を上げて倒れ、少女の後ろに屍の道を築いていく。
「あぅっ!」
 獣の爪がその腕を切裂く。徐々に身体に限界が近付いてくる。痛みを抑えていられるのもあと僅かだろう。
 突然、目の前に牙を剥いた顎が現れた。獣はこちらを め付けて、地を蹴る。避けきれない! 獣の頭を蹴り飛ばす! だが、その足に凶爪が振るわれた。
「ーっ!!」
 皮膚が裂け、肉を抉るような激痛に転げそうになる。すぐに右手の曲剣を振り抜き首を斬り飛ばした。背後に気配を感じるが、振り返らない。痛みを堪え走り続ける。傷付き疲労した身体はいつ地に伏せるか分からないから。こんなところで、まだ死ねないから。
「ぁ……」
 獣からようやく逃げ切れたとき、彼女は人の気配に気付いた。安堵から身体が重みを増した。まるで緊張の糸が切れたようだ。足が鉛のように感じられた。
「私って……やっぱり弱いねー……」
 気力を振り絞り、気配のする方へと向かう。獣から逃げる間に幾つも傷が刻まれたその身体を、比喩でなく引き摺ってゆく。

 Jylphe──the 6th Part

「だ、大丈夫か!?」
 満身創痍。その言葉がこれ以上ないくらいに当て嵌る。よく見ると彼方此方に出血の跡が見られ、赤く染まったその服はところどころ切れたり裂けたりしている。
「へ、いき。それよりジルフェは? 大丈夫? 怪我は、ない?」
 掠れた声で答えながら、足が もつ れてその場に くずお れる。
「オレのことより、自分のこと考えろよっ!」
 素早く駆け寄り、抱き抱える。
「よかった……怪我、してない、ね」
 弱々しく微笑む少女。胸を掴まれたような苦しさを憶える。
「ふふっ、面白い、顔……」
 苦しさを堪えるような、悲しさを抑え込むような、そんな少年の表情に少女は安堵する。心が軽くなってゆく。呼吸が穏やかになってゆく。もう、意識を繋ぎ止めておく必要もなさそうだ。 まぶた をゆっくりと閉じる。少し休ませてもらおう……。でも、その前に伝えることがある。
「あのね、ジル、フェ……。私、敵、頑張って倒したんだけ、ど……まだ、いる、かもしれない、から……気、を、つ、け、て……」
 これでいい。そして、これだけ言うのが既に精一杯でもある。後は、眠りにつくだけ。大丈夫。ジルフェはきっと、大丈夫だ。そう信じながら、ゆっくり、ゆっくりと少女はまどろみの底へと堕ちていった。
「マキナっ!」
 脈はある。呼吸も落ち着いている。赤く染まった衣服は、彼女の血だけでなく獣の返り血も幾分含まれているようで、出血も見た目程は酷くなさそうだ。傷も急所ではないし、致命的なものではないだろう。でも一刻も早く治療しなければいけない。身体の限界まで蓄積された疲労。不充分な体力。出血。骨への損傷。放っておけば命に関わるのは考えるまでもないことだ。
「ゴメン。オレが、馬鹿だったから」
 自らの袖を裂き、傷口を縛る。応急処置を施す。自分でも驚く程に穏やかな表情で、その腕の中の少女を見つめる。
 普通なら、涙を こら えるような、苦しげな顔をするのだろう。だが、何故だろうか。人はそういうとき程、優しく強い顔をする。それは他者を思う心からだろうか。苦しみを理解しようとして自らも苦しむ、というそれを超えた、穏やかな表情を──まるでその全てを抱き包み守るような──そんな表情を、人は時として、する。彼が同じ思いだったかどうかは、確かには分からない。だが。
「絶対死なせたりしない」
 瞬間、少年の瞳に強い意志が宿る。決意の表情。あるいは、それは悲愴に満ちた顔。そして、その少女の身体を背負う。
「絶対、死なせてたまるか……!」
 暗闇の向こうを見据え、少年は歩き出した。

 Macina──the 2nd Part

「マーキナっ」
 不意に後ろから抱き付かれる。首に回されるのは 華奢きゃしゃ な腕、背中には柔らかな身体。
「きゃっ……もう、何?」
 不平を言うような口調ではあったが、彼女の顔は怒っていない。微笑みを浮かべて首に絡まる腕を解き、振り返る。彼女よりもやや小柄な少女が、そこにいた。
 透き通るように薄い、青灰色の髪。水色というには少しくすんだ色合いなのに、瑞々しく感じられるのは何故だろう。その髪を後ろで二つに分けて、それぞれを首の高さ辺りで結っている。
 丸顔で、くりくりとした愛らしい瞳をした、平たく言ってしまえば童顔で、そして人懐っこいその表情は、見る者から悪意や敵意といった類の感情を削ぎ落とす。彼女は頭を軽くぽんぽんと叩くようにして、その少女の瞳を覗き込んだ。
「んーん、なーんとなくですよー」
 ふにゃっとした微笑みを浮かべながら、今度は正面から抱き付く。
「それっ」
「やだ、もう……」
 じゃれつく少女とそれをそっと抱き留める少女。微笑み合って過ごした穏やかな休息のとき。緩やかに過ぎていった日々。

 ああ、これは私の記憶だ。ほんの僅かな過去の記憶。楽しかった、懐かしき日々。

 それを思い出した瞬間、景色が けるように移ろい変わる。次に映し出されたのは、薄暗い洞窟。

「マキ、ナ……にげ、て、おねがい、なのです……」
「そんなことできる訳ないじゃない!」
 弱々しい笑みと、掠れた声でそう言う剣士の少女と、悲痛な顔で叫ぶ弓使いの少女。
「だめ、なのです、にげて……ほしいの、です」
 傷だらけで血に染まった身体で、か細い声で、それでも意志の強い穏やかな瞳で、その少女は言う。今にも泣き崩れそうな少女の顔を見て、傷を負った少女は、精一杯に、力強く微笑む。
「どうせ、わたしは、もう……もう、長くないです、から」
 そして、その少女たちの周りには。
 おぞましい笑みを浮かべた魔物が近付いて来ていた。

 Jylphe──the 7th Part

  深淵しんえんごと き暗闇の森を駆けてゆく。背中に感じる体温。まだ、彼女は生きている。大丈夫、大丈夫だ。
 その直後、背筋が凍りつくような感覚に囚われた。
「っ……!」
 スピードは落とさず、走りながら辺りを伺う。気配はない。だが、今感じたのは紛れもない、殺気。身体の奥底から冷えるような恐怖。息苦しくさえ感じられたあの感覚は、今はもうない。
 動悸が激しくなるのを感じる。背筋を嫌なものが伝い続ける。これは、予感だ。それも、どうしようもなく悪い予感。
「くそっ、何だっていうんだ」
 辺りを伺いながら、走り続ける。その刹那、右足に激痛が走った。
「!?」
 言葉も出せずにその場に頽れる。右足が燃えるように熱い。違う、これは痛みだ。生暖かいものがふくらはぎを伝うのを感じる。手を き、自らの足を見る。暗くてよく見えない。だが、何か光を反射しているようだ。そこに手で触れる。どろりとぬめる感触。これは……血だ。
 ずきずきと痛む右足から血が流れ出している。出血量は大したことはない。傷も痛みを感じた割には、それ程は深くない。
「な、にが、起きた?」
 背中のマキナを降ろし、近くの木にもたれかけさせる。そうして槍を杖のように地に衝き、立ち上がる。辺りを見回すが、気配は感じない。気配はないが、違和感がある。
「どこ、だ……?」
 辺りを見回し、伺う。そして、暗闇の中にそれよりなお昏いものを見つけた。その瞬間、背筋が凍り付くような恐怖が胸を射抜く。
 震える体を抑えつつ、足元の石を一つ拾い上げ、その違和感を感じた方へと投げる。 直後、その漆黒がその姿を現した。魔獣、ではない。もっとおぞましい「何か」がそこにいた。
 白銀色の毛皮に鱗、甲殻で身を覆い、頭には二本の捻れた角。爬虫類を思わせる長い尾に、鋭く凶悪さを感じるまでに湾曲した、爪。振り返った肉食獣のような顎にはこちらも鋭い牙が並ぶ。
 その姿は、神話に名を連ねる悪魔を思わせた。いや、あるいはこれこそがまさに悪魔なのであろう。神話の魔獣は伝説となって消えた訳ではない。今もこうして人間の脅かす存在のままなのだ。そして魔獣がいるのならば、悪魔がいるのだって何の不思議もない。事実、この世界には悪魔がいる──それは定説なのだ。
 とにかくも、そうであれば、魔獣よりも遥かに高い知性を持ち、そして万能的な身体能力を有する、その異形の存在が示し出す答えは限られてくる。
 即ち、死。
 それは、それだけは、絶対にあってはならない。何故なら、少年の死は少女の死を意味する。自分自身生きたいと思う。
 だが、自分の所為でこのようになってしまった少女を死なせることは、自分自身の死以上に耐え難い。それは罪悪感からそう思っただけなのかもしれないし、独善的な現実逃避だろうとも思う。
 だけれども、彼は彼女を守らなければいけない。そう思うことが今彼を動かし、支えている。
 白銀の悪魔は、首をゆっくりとこちらへと向け、その鋭い瞳で睨む。赤々と輝くその眼は、まさしく異形そのものだった。
 凄まじい殺気を帯びた眼光に射抜かれ、身動きが取れなくなる。
 動け! どうしたんだ、オレの身体!
 言葉さえ、出はしない。
 ゆっくりとした、獲物を仕留める為の慎重な動きで、悪魔は近付いて来る。兎を狩る獅子が全力を以ってそれを為すように。そして、その射程に捉えられた瞬間、悪魔は信じられない速度で跳躍した。
 ──ここで、終わりなのか?
 そう思った刹那、その悪魔は素早く後方に 後退あとずさ った。
「? 何が──」
 しかし、それに続く言葉は出ない。絶句したということではない。理解したのだ、その訳を。
 先程までその悪魔が居た、その場所に、稲妻のような衝撃が走った。それは紅蓮の如き剣閃。
「ち、かわしたか。だが、次は外さない」
 獅子の たてがみ のような髪の青年。細身ながらがっしりとした体つきの、長身のその男は、右手に持った全鉄製の槍に左手を添えて構える。その槍の穂先は七十トゥール程もあり、刀身はまるで揺らぐ炎のような形状をしている。
 張り詰めた空気。訪れた静寂。
 沈黙を先に破ったのは、白銀の悪魔だった。
 その禍々しく湾曲した鎌のような爪を振り上げ、跳び掛かる! だが、その凶器が振り下ろされるよりも早く、金の獅子は腰を落とし身を屈め、その直後、身体を捻るようにしてその槍を突き出した。重心を踏み出した足へと移し、その体重を乗せた一撃は、しかしその悪魔には届かない。青年が身を屈めた瞬間、宙で前転するように、稲妻のような槍の一閃をかわす。
 着地し、青年の背後に回り込んだその悪魔。おそらくは油断していたのだろう。大きく振り被り、凶爪を突き立てようとしていた。
「外すつもりはない」
 獅子の咆哮のような、低い声が響いたあと、閃光が地に水平に走る。金属と金属がぶつかり合って摩擦する高いノイズが鳴り響く! 一瞬、ジルフェには何が起こったか分からなかった。青年は振り向き様、背後の悪魔にその槍の横薙ぎを放ったのだ。それをかわすことができず、悪魔はやむなく、振り下ろした爪で受け止める。辛うじて受け止めた、というところだろう。その爪には幾つか亀裂が走っていた。
 衝撃を受け止めてよろめく悪魔に、青年は追撃を仕掛けようとした。が、飛び退くように後へ下がる。白銀の悪魔もまた、後退した。周りから、灰色の毛皮に覆われた獣が現れていた。
「なるほど。この場は退こう、そういうことか。犬如きでも、時間稼ぎにはなろうな。
 ──致し方ない、か」
 じりじりと後退る悪魔と、にじり寄る魔獣。結局青年は悪魔を追うことはせず、その魔獣を牽制することにした。そして、初めて少年に声を掛けた。
「無事か? 無事だろうな。だがそこのお嬢さんは無事ではないようだ」
 独り言のような調子で青年は少年に尋ねた。ようやく、身体の自由を取り戻したジルフェは、掠れるような、情けない声で答える。
「あ、ありがとう、ございま、す。助けて、いただいて」
「礼を言われる程のことじゃあない。それより、そこのお嬢さんをどうにかしなければならん、が、生憎周りには犬がうろうろしている。片付けられるか?」
 その大振りな造りの槍で魔獣どもを牽制したまま、横目で尋ねる。いや、これは問いではない。片付けろ、という意味の婉曲。
「オレは、死なせたくない。守り、たい。それなら何でも、できると思う」
「だろうな。あの悪魔と相対して、それでもその前に立っていられたんだ。こんな犬如き、どうということはない。安心して任せよう。俺は人を呼ぶ」
 ジルフェを一瞥して頷いた後、その槍を大きく天に向け、前方の魔獣に素早く振り下ろした。魔獣は辛うじてそれをかわすが、振り下ろされた槍はそのまま地を横に走った。胴をその横薙ぎに一閃された魔獣は、瞬時に絶命した。そしてそのままの勢いで。槍を一回転させて、再び構える。怯む魔獣を睨みつけ、そして直後に不敵な笑みを浮かべたまま駆け出した。
 魔獣は我に返ったようにジルフェの方を向き直る。だが、金の獅子に気を取られていた魔獣は、そこにおおいに隙があった。そして、駆け出しのジルフェでも、その隙に付け込むことは容易だった。
 黒鉄の刃が突き出され、まずは一匹目の魔獣が、頭を貫かれて即死した。
「よし──オレだって……やれるんだ!」
 槍を握る手に力を篭める。生まれてからこの瞬間まで、まだ、魔獣をたったの二匹屠っただけ、という経験のなさ。だが、全くのゼロとは雲泥の差。魔獣を倒したという事実が彼に自信を与えた。そしてその自信が、彼の力になる。
 引き抜き、構える。構えることで、相手の攻撃に備えようとした。だが、それは誤りだった。
 数匹の魔物は、次々跳び掛かってきた。鋭い爪、鋭い牙、それらが立て続けに振るわれる。ひとつひとつを槍で凌ごうとするも、数撃目にして槍を持った手を弾かれる。
 よろめく身体に、すかさず魔獣の連撃が襲い掛かる! やられる──そう思ったジルフェは、がむしゃらに腕を振った。槍の柄が魔獣の腹を打撃し、石突が他の魔獣の頭を打ちつけた。だが、それでも魔獣の猛攻は収まらない。
「ぐぁぁっ……!」
 腹に魔獣の体当たりが入り、その衝撃で吹き飛び転がる。引けた腰のまま、追撃する魔物に対して槍を振り抜き薙ぎ払う。本能的な行動だった。それでも魔獣は、その型の崩れた一閃を避けることはできず、胸を深々と えぐ られ、死んだ。
 まだ四、五匹の魔獣がこちらを 虎視眈々こしたんたん と伺っている。そして、一匹、また一匹とこちらへ駆け出した。
「くそっ……数が、多すぎる……」
 間合いが充分に取れているから、一匹程度なら問題なく倒せる。だが、それに続く二匹目の攻撃はかわすことができず、腕に魔獣の爪による裂傷が走った。痛みを抑えながら、槍の柄で弾き飛ばし、槍を逆さに構え垂直に振り下ろすようにしてその頭を突き砕く。
 これで、ようやく四匹目。残りはそれでもまだ三匹、あるいは隠れているならまだもう一匹くらい、いる。
 今度は構え直すこともせず、抜き払った槍をそのまま薙ぎ払うように水平に振り、牽制。そして左手を添えて構えながら駆け抜ける。右足が痛む。地を蹴る度に激痛が身体中を駆け巡った。どうやら、思ったほど深手ではない、と感じたのは、思い違いだったようだ。
 跳び掛かる魔獣を石突で叩き落とし、確実に頭を槍で刺し貫く。初めて仕留めたときと同じように、頭を狙う。それは他に有効な部位を探る余裕がないからということと、あるいは他に思いつく余裕もないからというだけに過ぎない。だが、間違いなく確実に魔獣を屠ることのできる部位が、頭だった。
 あと、二匹。これなら、いける。
 そこからは驚く程にあっさりとしていた。初めは囲まれていたから、その魔獣の波状攻撃をかわすことができなかった。だが、一度弾き飛ばされて、それからは魔獣は直線的に襲い掛かってきていた。
 それは全くの偶然だったろうが、それでもそのおかげで、彼は確実に魔物を仕留めることができていた。それがこの結果を生んだ。魔獣は、全滅していた。
 傷を負いながらも、確実に一匹一匹魔物を屠った。致命的な傷を負うこともなかった。胸も、腹も、その鎧がしっかりと守っている。新品だった筈のそれには、既に無数の傷が刻まれていたが。
 腕や脚のあちこちに裂傷ができていたが、どれもそれ程は深くない。だが、白銀の悪魔にやられたと思しき、右足のその傷だけが、いつまでも熱を帯びたように痛む。傷を負ったまま、その足を酷使したからだろうか、確実にその傷は悪化しているようだった。
「くっ……痛ぇ、な。これ……」
 もしかしたら、それ程深くないと思っているこの腕や脚の裂傷も、どれかは思った以上に深手なのだろうか。だが、魔獣は片付けた。もう、敵はいない。あとはあの青年が戻るのを待つだけだ。心配する必要なんてもう、ない。
 だが、何故だろう。動悸がする。この感覚は、何なのだろう。背筋を伝う悪寒。総毛立つような、これは──これは。
 恐怖。
「最悪だね。何で戻ってくるんだよ」
 吐き捨てたその向こうにいたのは、金の獅子ではなく、白銀の悪魔だった。

 Macina──the 3rd Part

 初めてその少女と出会ったときのことを、彼女は今でも正確に思い出すことができる。その少女は、ぼんやりと酒場の窓から見える景色を眺めていた。窓の向こうにあるのは、何の変哲もない街道で、 せわ しなく人々が行きかうのが見えるだけ。
「何、見てるの?」
 彼女は気になって、思い切って少女に尋ねてみた。
「んーとですね。きっと、何も見ていないんだと思います」
「え?」
 その少女の言葉は少女本人のものである筈なのに、どこか曖昧で、どこか宙に浮いたような、そんな感覚を憶えた。
「何も、見てない……そうですね、考え事をしていたのでした」
 ふと思い至ったような表情をし、そして少女は彼女の方を向いた。
「その前に、はじめましてですね。私の名前は、サリエルです。貴方のお名前は?」
 そう言って微笑んだ少女の顔は、優しく柔らかくそして穏やかで、彼女は思わず 見蕩みと れてしまっていた。

 だが、我に返ると同時に、再び景色が融けてゆく。移ろい変わり、映し出されたのは、またも薄暗い洞窟。あの続きだった。

 周囲を取り囲む魔物。人型をしたそれは妖魔と呼ばれる存在だった。魔獣と異なり知性があり、そしてそれゆえ──彼らには悪意があった。
「マキ、ナ……逃げて、ください……」
 掠れた声が耳に届く。だが、彼女は逃げようとはしなかった。できなかった。守らなければいけない。妖魔たちに、この少女を けが れさせはしない。
「サリ……私が守ってあげる」
 決意が瞳に宿る。傷付いた少女の持つ剣を手に取り、彼女は下卑た笑みを浮かべる妖魔に斬り掛かっていく。

 Jylphe──the 8th Part

 少年は危機に瀕していた。重傷を負い、身体は うに限界を超えていた。そこに、この悪魔だった。
「こんなところで死ぬ訳には……いかないんだ」
 強烈な殺気に気圧されながらも、辛うじてその場に立ったまま耐える。そして槍を構え殆ど効果もないような牽制を試みる。その程度ではやはり悪魔は動じない。だが、敵から仕掛けられるよりは、こちらから仕掛けた方がいいだろう。
 どうせ、ただ構えていてもその悪魔の攻撃を凌ぐことはできない。
 白銀の悪魔。奴の武器はその爪だ。牙で噛みつこうとはしないし、その尾を振るうこともない。なら、その爪をどうにかすればいい。
 だが、どうやって? しかしながら、考えるより早く身体が動いていた。一直線に駆け寄り、槍を突き刺す! だが、その穂先はただ虚空を貫くのみ。悪魔は飛び退くようにその槍を難なくかわした。
 続け様に放つ斬撃も薙ぎ払いも全て当たりはしない。かすりさえもしない。
 どうして、当たらないんだ? いや、読まれているのか? 読まれていないにしても、圧倒的に奴の動きが違う。そもそも攻撃がそれについていけていないのだ。しかし、何とかしてその爪を折らないことには。
 だが次の瞬間、奴を見失った。その動きを捉えることができなかった。
 風を切る音。本能的に後ろへと跳び退こうとするも、それを避けることは敵わなかった。そして、激しい熱が顔を覆った。
「ぐあぁあぁぁぁぁっ──!」
 顔の右半分が熱い。まるで焼けるようだ。頬を何かが伝うのが辛うじて感じられた。これは、血だろうか。
 激痛に襲われ、力が抜ける。膝をついてその場に頽れる。
「くっ……かはっ」
 白銀の悪魔は一歩、また一歩とジルフェに近付いて来る。その動きを初めは慎重と評した。今は分かる。それは慎重、なのではない。ゆっくりと近付くのは、絶対的な余裕から。慌てる必要がないから。
 そしてその悪魔は、加えて悪魔なのだということを。
 頭を持ち上げ、悪魔の顔を見る。
 絶望と恐怖に満ちた顔を見ることを至上の悦びとする。ゆっくりと近付くのは余裕からだけではない。ゆっくりと近付くことでより絶望を深くする。恐怖を大きくする。そう、その顔を見て悪魔は背筋が凍り付くようなおぞましい笑みを浮かべていた。
 違う。
 見ていたのはジルフェではない。
 その後側で横たわる緑の髪の少女を。まるで自らの好物を目の前にしたときのような喜悦の表情を浮かべて。あるいは、そうすることで少年から更なる絶望を引き出そうとしたのか。
 だが。
「死ね、ない」
 生きたい。何故? 生きなければいけない。何故? 守らなければいけない。誰を? 
「……殺させない、オレは、守る……守るから──!」
 ──そう、守らなきゃ、いけないんだ。マキナを、守る!
 その刹那、力が みなぎ るのを感じる。身体が、動く。不思議と、その身体は軽い。足の痛みも感じない。先程まで燃えるように熱かった右眼も、今は不思議と、何も感じない。痛みも熱も、そこには全くないように感じられる。
 立ち上がり、悪魔の向かう道に立ち塞がる。これ以上先には進ませないという、強固な意志を持った左眼で悪魔を睨みつける。
 白銀の悪魔は、しかし笑っていた。
 ドケ。
 そう聞こえたような気がした瞬間、少年の身体は宙に投げ出されていた。
「ぐぁあっ──!!」

 Macina──the 4th Part

 幾多の妖魔を相手に、少女は死の舞踏を狂い踊る。横たわる少女に教えたその剣技を、今は自らが振るい、舞い狂う。銀閃が駆け抜け虚空に白い三日月を描く。
 その弧から紅い紅い飛沫が吹き上げた。刃が妖魔の胸を抉ったのだ。妖魔は信じられないといったような表情を浮かべ、打撃の衝撃で後方へと吹き飛ぶ。
「きっと、私が弓を使うだなんて言わなければ……剣を使っていれば……!!」
 慣れないマキナのフォローをしたのはサリエルだ。そして彼女は、マキナを守る為に普段以上に動き回った。その結果、疲労が蓄積し、そして隙ができた。
 元々彼女は剣士だった。弓を使う、と決めたのは、多分に彼女が自らに自信があったから、そういう余裕があったのだろう。冒険者としてある程度の経験を積んだ彼女は、油断していた。
 サリエルは、その体格ゆえに力はない。その力のなさを補う為に、マキナが剣技を教えた。
 踊るように閃刃を振るい、舞うように剣閃を繰り出す。スピードを乗せることで威力不足を軽減する。そして打たれ弱さは身のこなしでカバーする。軽装の剣士や女性が好んで使う戦法だ。
 一体、一体と確実に妖魔を退けてゆく。少しずつだが数も減ってきた。
 マキナはそれを自らの師から授けられ、彼女自身、師程ではないとはいえ、充分にその剣技を理解し身につけていた。
 残る妖魔も、皆、大なり小なり傷を負っている。
 だがだからこそ彼女は、今この瞬間にも油断していた。
 次々と妖魔の身体に裂傷を作っていくも、その数は一向に減らない。一体を薙ぎ払ってもまた一体襲いかかる。その一体を払えば仕留めきれていなかった先程の妖魔と新しい妖魔が襲いかかる。
「っく……!」
 辛うじて致命傷は避けられるように、回避を重視。
 だが。
 刹那、妖魔の魔爪が伸び、それをマキナはかわそうとした。
 かわせる。動きは見えていた。
 だが。
「っ!?」
 身体が思うように動かず、紅い爪をかわしきれない。衝撃を身に受け、気付けばその軽い体躯は宙を舞っていた。
「っぁ…………」
 壁に叩きつけられ、空気が零れるような掠れた息を吐く。腹部から赤い熱が流れ出す。そっと触れたそれは、血だった。
「私……まだ、まだじゃない……」
 壁にもたれ呻くようにぽつりと独りごちる。
「マ、キナっ!」
 掠れるような叫び声。驚きすぐさまそちらへと視線を移せば、そこには水色の髪の少女が緑の髪の少女の弓を携えて、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。
「サリ、駄目っ、逃げ……逃げてっ!」
「駄目、なのです。サリエルは、仲間を、見捨てて……逃げ、たりしない、のです」
 掠れる吐息に混じって零れる言葉。途切れ途切れながらも、そこには決して途切れることのない強い意志がある。
 そして立ち上がった少女は壁にもたれ今にも横たわりそうな少女から、幾分数は減ったもののまだまだ多くいるその妖魔へと視線を移した。
 ……不敵な笑みをそこに携えて。
「サリっ!」
 そして少女は次々と矢を射放つ。飛び掛かる妖魔の腹を、頭蓋を、心臓を、銀光のごとき矢が刺し貫く。
 それでもなお飛び掛かり妖魔はその赤い爪を少女に突き立てる。
「ぁぐっ……」
 肩を切裂かれ、掠れた吐息が漏れる。
「もう、もう止め、て、サリっ……!」
 手を地につき、無理矢理にでも身体を起こそうとした。が、身体は言うことを聞かない。
 弓を構えた少女は、矢を手に取ると、それを弓に番えることなく、そのまま妖魔の心臓へ突き立て、そのまま刺し込み貫いた。
「大丈夫、心配しないで、なのです。マキナは、絶対に……死なせ、たりしないから」
 あえかな笑みを浮かべながら、矢を番え射放つ。
「私、本当は昔、弓を使って、たんですよ……。でも、きっと、油断、していた、のです」
 言葉を紡ぎながら、妖魔を射抜いていく。仕留めそこなった凶爪が身を裂くその痛みも物ともせず、弓で殴り直接矢を突き刺して、止めを差す。
「マ、キナは……悪くないです。だって、私も、同じ、でしたから……」
 そして、射放った最後の矢が、最後の妖魔を仕留めた。
「悪いのは、悪い、のは、私。私が、きっと、そう……なんです」
 最後に、少女が地に伏せる音が洞窟に響いた。

 Jylphe──the 9th Part

「っあ、ぁ……っく……」
 脇にあった樹に叩きつけられ、少年は呻き声を漏らす。
 悪魔は少年に一瞥くれると、そのまま少女の方へ向かう。そのときの悪魔の顔はどれほど喜悦に満ちていたことだろう。そしておそらく、油断していた。
「すまないな。遅くなった」
 黄金の閃光が駆け抜ける。悪魔の首筋に銀光が一閃。その刹那、甲高い金属の擦れる音が響き、そして白銀の悪魔が退く。
 そこにいたのは、金の獅子。
「む。少々時間が掛かり過ぎたようだな。レテが遅いからいかぬのだぞ」
「わ、わたしの所為!?」
 金の獅子の背後から声が上がる。それに続き、その声の主が姿を現した。
「レテ、二人を頼んだぞ。俺は奴を仕留める」
 言うが早いか青年は槍を構えて白銀の悪魔に飛び掛かっていく。退いた白銀の悪魔は、先程までの悦びの表情ではなく、苦渋に満ちた表情に変わっていた。
「分かったわ、兄さん。こっちは任せて」
 後へ退く悪魔を追う青年に続き、レテと呼ばれた女性が姿を現した。流れるような長い金髪。翡翠色の瞳。彼女が兄だと呼んだ青年も、彫像のようで、かつ、動物の王者のような堂々とした美しさを持っていたが、彼女もまた、誰が見ても美しいと感じる容姿を携えていた。だがそれは野に咲く名もなき花のような、素朴でいて可憐な美しさに思えた。
「大丈夫? って、見れば分かる、か。酷い傷ね」
 微笑みながら声を掛け、そして一瞬でその表情を崩した。深手を負った少年と少女を見て、心配そうに顔を歪めたのだ。
「っ……!」
 おもむろに少年の足へ手を伸ばす。傷口に触れたのだろう。少年が声なき苦悶の声を上げた。
「っとと、痛かった? 取り敢えず、応急処置にしかならないけど……」
「オレは、いいです……。マキナを……そっちのやつを先に、診て、欲しい……」
 横たわる少女は確かに呼吸も浅く、危険な状態にある。外傷よりは体力の消耗が激しく、損傷した肉体を自ら治癒することができていない、ようだ。
「どうしてこんなになるまで──!!」
「オレが……オレが、油断してた、から。魔物に、囲まれて、彼女が囮に、なって……なのに、オレに力がないばっかりに……」
 責めるような女性の眼差しに、少年は思わず目を逸らし、俯く。ぼそりぼそりと呟いたのは悔恨の言葉。
「……”力に溺れてはいけない”。兄がいつも言っていること、なんだけど、ね」
 俯いたままの少年に、女性は少女を治療しながら続ける。
「力を求めることは、敵を求めることに繋がる」

 the Other Part

「力に溺れることは、戦いに溺れることと知れ」
 青年は呟くように言って、悪魔に すが る。
「戦いを求め、戦いに溺れる。そこにあるのは、ただ修羅道のみ」
 間合いを詰めたところで、白銀の悪魔が振り返り、その凶爪を構える。青年もまた銀槍を構えて牽制の体制を取った。
 刹那、時が止まる。
 永遠にも感じられるその一瞬が過ぎ去ったとき、青年と悪魔が交錯した。電光が空を切裂く。遅れて、金属の擦れ合う不協和音が鼓膜を震わせる。
 磁石の対極のように引き寄せられて、磁石の同極のように弾かれる。そして、超伝導を纏った磁石のように、お互いに距離を一定に保ちながら、円を描くようにして走り出す。
 時折、引き寄せられるように接近しては、光音を放ち、そして離れてまた走り出す。
 繰り返される剣戟。
 電光と金属の不協和音。
 演舞のように死闘を繰り広げる。森の中にひとつ、またひとつ、と修羅の軌跡を刻んでいく。
「──むんっ!」
 銀槍が稲妻のように空を滑る。刹那、銀の月が煌くように悪魔の凶爪が宙を走り、雷光の如き刃を弾き返した。
 槍を引く、飛び退く青年に追従するように、白銀の悪魔は右腕を振るい飛び込んでいく。水平に駆け抜ける銀爪。直後、甲高い音が響く。青年が石突を押し出し、爪を弾き返した。
 だが、悪魔はそれを読んでいたかのように、右腕を後ろに引きながら身を翻し、左腕の凶爪を突き立てる!
 咄嗟に身を屈めてかわそうとするも、続けて右腕が振り下ろされる。二本の腕が絡み付く蛇の如く執拗に襲いかかる。
「ふ」
 悪魔の連撃を紙一重で、だが確実にかわしながら金の獅子は不敵に笑う。
 屈み込んだ姿勢から高速で足払いを放った。悪魔はこれを回避するべく追撃を諦め、後ろへ下がろうとしたが、それがまずかった。
「これでもうお前は俺の攻撃から逃れられない」
 槍の最適の間合い。
 悪魔がそれに気付いたときはもう遅い。
 月明かりを反射する銀の刃。残像が一条の銀光となって、空を切裂く。一瞬遅れての風を切る音。宙を滑る刃は、だが完全なタイミングからは僅かにずれ、悪魔の心臓を外した。
 胸の中央、堅い胸甲殻を貫き、その骨を砕き、その肉を抉る。甲殻が、骨が砕ける鈍い音に続き、肉の繊維を断裂する音が虚空に滑り落ちる。
 静寂の森で奏でられる不協和音の凶奏曲は、金属が擦れ合う音に始まり、生命の鎖を断ち切る音を以って転調を迎える。
「グ……ォ、ォォ……」
 致命傷を避けることのできた悪魔は、その程度の傷ではよろめきさえしない。貫かれながらも、槍の柄を握り、その豪腕で引き抜く。そして引き抜く勢いのまま、金の獅子の胸へと石突を突き出す!
「むっ……!?」
 意表を突かれた青年は、槍から手を放し身を捻って、死へ導く一撃から逃れる。そこへ、柄が水平に振り抜かれる。豪速の薙ぎ払いを、柄に手を乗せるようにして飛び上がり、そのまま水平に悪魔の頭へと蹴りを叩き込む! 悪魔は槍を手放して、左腕を側頭部と脚の間に腕を差し入れて頭部を守る。鈍い打撃音が響き、お互いの身体が弾き飛ばされる。
 槍を引き寄せながら着地し、体勢を整えようとした青年に、先に体勢を整えていた悪魔が飛び掛かって来る。
「甘い」
 槍を構えずに、身を落としての正拳突きを懐へ放つ。ヒュッと風を切る音が小さく響き、そして直後に鈍く打撃音が響く。腕で胸を覆うようにしてその一撃を防いだ悪魔は、そのまま一歩後退り、拳の勢いを殺す。
 今度は金髪の闘士が追撃する。木の幹に向かって跳び、幹を蹴って飛び上がる。そして木の枝を踏み締めてさらに高く跳躍し、悪魔に向かって急降下する!
 炎を かたど った銀の刃は今は血に濡れて漆黒に似た赤い光を放っている。その刃で大きく胸を抉られた白銀の悪魔は、だが大振りのその攻撃はいとも容易くかわすことができる。
 だが。
「チェックメイトだ」
 急降下した金獅子はその攻撃がかわされることを前提にこの攻撃を繰り出した。
 前へ進めば背後を取られる悪魔は必ず後ろへと回避する。
 回避した悪魔はどうするか? 決まっている。攻撃を読んだらその隙をついてカウンターに転じる。常套手段である。だが、そのカウンターさえも当然のものとして連撃を備えていたならば。
 後ろへと下がった悪魔が急降下する青年に向け、銀の光条を放つ。ジルフェの脚を焼いたその光の筋は、漆黒の闇を切裂きながら金の獅子へと向かって行く。
 そのとき、彼は確かに不敵に笑っていた。
 必ず急所を狙ってくる。だから、急所は敢えて無防備に晒しておく。悪魔が攻撃をしたならば、その槍の刃を急所の前に掲げるだけでよい。
 刃を手に、自らの喉を覆い隠すように掲げる。銀の光がそこへ飛んでくることを予測し、確実に寸分違わずその位置に掲げる。
 銀光が飛んできてから構えていたなら、確実に絶命していただろう。急降下のそのとき、頭部は最も狙いやすい位置にある。だがそこで頭を狙うのは分かり易過ぎる。敢えて心臓を狙うのも。残る急所は、首。
 銀光が刃に反射して、光が辿った道をなぞるように戻っていく。感知できない速度で煌く致死の光は、予測できない限り回避不能。だからこそ、銀の悪魔はこれを最後の切り札とした。確実に絶命させられるように。
 だが、彼は油断していたのだ。いかにも力の弱い少年をなぶる為にその光を放った。これが彼の力を露呈させ、切り札をばらす結果になった。
 白銀の悪魔へと銀の死光が煌き、そして──。

 今度こそ、確実に心臓を貫いた。

 the Last Part

 随分長く眠っていたような気がする。
 少女が気が付いたそのときは、身体が暖かく柔らかな何かに包まれていた。
 ここはどこだろう。
 目を開くと、そこには天井があった。どこかの宿屋、だろうか。
「私……」
 身体を起こそうとした少女は、自分が傷を負っていたことを思い出す。だが、不思議と身体は軽く、どこにも痛みはない。
 確かに、重傷を負ったハズ。意識を失う程に傷付いていたハズ。なのに、少しも痛くはない。
「ここは……そうだ、ジルフェは!? ジルフェ──」
 名前を呼ぼうとしたところで、彼女は目を見開き、硬直した。ぼろぼろに傷付いた姿を想像していたのだろうか、そこにあった少年の無事な姿を見て、ただ驚いて、その光景を、その事実を反芻し、理解して、彼女は安堵した。安堵すると同時に、彼女の頬を一筋雫が伝った。
「ジル、フェ……無事で良かった……」
 ベッドの へり に身体を預け、安らかに寝息を立てる少年に、彼女はそっと手を伸ばす。頭を撫でながら目を伏せる。
「ねぇ、サリ……私、ちゃんと、守れたのかな。今度は、ちゃんと……守れたのかな?」
 ぽろぽろと涙を流しながら、掠れる声で、もう二度と会うことの叶わない少女に語り掛ける。自らの傲慢さが殺した少女。あるいは、彼女の油断もあったのか。
 考えの甘い少年にきつく当たったことも、彼女がもう誰も死なせたくなかったから。二度と、誰かが死ぬところを見たくなかったから。
「でも、きっと……逆、なんだよね。この子が、ジルフェが守ってくれたんだよね。私、やっぱり、駄目かも」
 自嘲的に微笑み、呟く。と、直後、扉が開いて一人の女性が入ってくる。マキナよりは二つか三つ程年上だろうか。辛うじて少女と呼べそうな、それくらいの年齢。ベッドから身を起こす少女を見ると、表情を俄かに明るくして、金の髪を揺らしながら、部屋の中へと入ってくる。ふと、タンポポを連想した。
「良かった、目が覚めたのね! 気分は、どう?」
 ベッドに駆け寄り、傍らの椅子に腰掛ける。
「ええと、貴方は……?」
「レイティア。ここまであなたとこの子を運んできたの。酷い傷だったのよ? それで、気分は? どこも痛くない?」
「痛くはないです。けど、気分は良くない、かも」
 マキナは迷うことなく、自らの愚かさを篭めてそう答えた。
「私、駄目、だな……全然、強くなれてない。誰も、守れて、ない」
 目を伏せ、涙を堪えながら呟く。
「ううん、あなたはちゃんとこの子を守れたわよ? この子、あなたより傷が浅かったけれど……それって、あなたが、守ったのよね?」
 ベッドの縁に伏して眠る少年を見つめる女性。
「敵に囲まれそうになったとき、守ってくれた。彼女が魔物を引きつけてくれてなかったら、オレは っくの昔に食い殺されてたんだなって思う──この子、そう言ってた」
「……!!」
 レイティアと名乗る女性は、少女にそっと近付いて、その頭を引き寄せ、優しく抱いた。
「あなたは、ちゃんと守れたわ。だから今、二人とも無事なんじゃない」
「レイティア、さん……」
 女性に身体を預け、抑えていた涙をぽろぽろと零す。しばらく、そのまま静かに穏やかに泣いた。少しだけすっきりしたのか、少女は自分から身体を離し、ぎこちなく微笑んだ。それを見て、女性も安心したように微笑み返して言う。
「さ、わたしは出来の悪い兄の手伝いをしなきゃいけないから、行くわね。あ、そうだ、お腹空いてたりする? 後で何か作ってあげるけど」
「後で、いいです。ありがとう、ございます」
 嗚咽を堪えて、再び微笑む。部屋から去り出でていく女性を見送った後、ベッドの脇ですやすやと眠る少年の方へと視線を移す。
「ありがとう、ジルフェ……」
 穏やかに寝息を立てる少年の頬に、そっと彼女はキスをした。


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